gatezarmのブログ

発達障害、ナルコレプシー等で悩み続けて20代も後半・・・

メモが取れない男のメモ取り究極進化系

私はメモ取りが非常に苦手だったので、自分によく合うメモ取りの方法を見つけ出すまで3年、4年と苦労した。今回はその変遷を辿っていく

  1. 一般的なポケットサイズのメモ

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    汗っかきな自分がポケットにメモを入れっぱなしにしておくと蒸れ蒸れになり、後で取り出すとフニャフニャになっていて非常に不愉快。第一、情報を素早くシンプルにまとめきれない自分にはページサイズが小さすぎた。
  2. A6サイズくらいのメモ(というかノート)

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    デカい。デカ過ぎる。カバンを持ち歩けない外出時に不便この上ない。ページサイズが大きくなったのはよいのだが、そもそも情報を素早くまとめられないので後から見返すと支離滅裂な文字や図形の羅列になっていた。この頃には、自分には聴取とメモ取りを同時に行う能力はないことが分かってきた。
  3. 付箋

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    素早いメモ取りが必要な業務自体を避けるようにして、簡単な予定や買い出しは小さな付箋に書き取りポケットに入れておくようにしたが、白紙の付箋の束の糊が剥がれてバラバラになったり記入済みの付箋をどこに入れたか分からなくなったりして不便極まりない。
  4. 単語カード

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    そして最後に至った選択が単語カードだった。リングでカバンなりどこかに吊るして携帯することで、ポケットの中での汗ムレを防ぐことが出来る。

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    記入した内容は後から日時や優先順位に基づいて簡単に並べ直すことができる。これが私的メモ取り究極形態となった。

眠気のせいで仕事が出来ない・授業が聞けない【ナルコレプシー】

※以前ブロマガで書いた記事の転載です

ナルコレプシーと呼ばれる、睡眠に関する障害をご存知だろうか。


1.ナルコレプシーとは
 仕事、学業など屋外での活動中にも関わらず唐突な眠気に襲われ、意識が薄くなってフラついてはハッと目覚める。これが日中何度も繰り返される。これは睡眠不足などによってもたらされる「不眠症」ではなく、必要以上に眠ってしまう「過眠症」の類

2.ナルコレプシーの学生
 ナルコレプシーを持つ学生は、授業中だけでなくさまざまな校内行事(始業式や卒業式、セミナー)においても唐突に眠ってしまう。 授業の内容は頭に入らないし、重要な行事で眠ろうとするから教職員からも「怠けている」だとか「不誠実」であると、ネガティブな評価を受け続ける。


3.ナルコレプシーの社会人
 この障害を認知しないまま社会人になると、頑張って就職に成功しても、業務中に本人の意志とは関係なく頻繁に眠り込むことになり作業が進まず、周りには「仕事を真面目にしない」「やる気がない」と悪印象を与え続け、最悪そのまま解雇となることも有り得る。

4.個人の努力では治らない
 「夜きちんと眠らないせいで日中に眠たくなる(睡眠不足)」と勘違いした人は、私生活の改善や睡眠薬での対処を試みては
何度も失敗を繰り返す

5.人格すら捻じ曲げるナルコレプシー
 日中の活動に支障をきたすこともナルコレプシーの問題だが、長い目で見た場合さらに深刻な問題が起こる。他人から叱責されたり失望される失敗経験が積み重なると自分に自信がもてなくなり、次第に主体性や意志力を持たない、無気力な「超草食系」の人格が出来上がってゆく
常に周りからの評価に怯えて「怒られたくない」とか「賞賛されたい」とか、そういった動機でしか活動出来なくなる。

6.医療機関に相談しよう
日常生活、社会活動に著しく支障をきたす場合は状況が悪化する前に直ちに受診することをお勧めする。ただし、睡眠外来等ではなく神経科・心療内科・精神科を受診するのがベスト。服薬治療などによりナルコレプシーそのものを改善していくと同時に、失った自信を取り戻し堂々と生きられるようになることが大切。


まとめ

・『不眠症』ではなく『過眠症』

・どんなに大事な場面でも突然眠ってしまう

・『睡眠不足だ』対処を誤ると失敗だけが積み重なる

・自分に自信がもてなくなり無気力な人格になる

・神経科・心療内科・精神科での受診を検討する


睡眠障害で心から苦しんでいる方々の参考になれば幸いです。

では、不登校児に対してなにができるのか

 不登校になった子供を、無理に学校に行かせれば環境がそれを追い詰めて潰してしまう。学校へ行かない選択を肯定してもその先には何の保証もない。

 

 不登校、登校拒否というものに対して周りはどう接していけばよいのか。自分は子供を持っているわけでもないしこんなことを考えるのも偉そうではあるが答えを見つけられないでいた。

 

ある時その答えに近づくためのヒントが降りてきた。SNS上のとあるやり取りの最中に出てきた言葉だった。

 

「向き合う」という言葉。

 日本に生まれてしまったからには、早起きして学校へ行き周りに合わせながら皆と同じ勉強をすることを当たり前のこととして強いられるわけだがそれを避けるということは、当人にとって特別な心境の変化があったということだと思う。

 「辛い」という感情は、何かと比較したりして計算出来るものではない。「遠い国では貧しい子供たちが苦しんでいるからあなたは恵まれている」だとか、そういう物差しで量ったりしたところで何の解決にもならない。当人にしか分かり得ない苦しみがある。

 そういう他人には分かりようのない、目に見えない辛さを抱えた人を支援することは容易ではない。では周囲の人間は、一体どうしたらいいのか。

 

 もしも不登校に陥った子供が、その憤りや悲しみに押し潰されて誰かに打ち明けなければ気が済まなくなったとき、それを聞いてあげる人間が要る。

心の中に抱えたものを思い切りぶちまけたくなる時がやってきた時、横に誰かが居なければ言葉通り行き場のない孤独だけが帰ってくる。そんな絶望的な状況の前で私は正気で居る自信がない。

 

 ただ話を聞いてくれる人が居てくれさえすればいい。この辛い気持ちを、泣きたくなるような気持ちを聞いてほしい。私にもそういう瞬間が何度もあった。だが私は幸せもので、そんな時は必ず周りに誰かが居た。祖母だったり、ネット上の知り合いだったり。誰かしら話を聞いてくれる人がいて、例えその全てを理解されずとも、話し終えた時にはとても心が安らいでいた。

 

 あの時、誰一人として私の言葉を聞いてくれる者がいなければ今の私は・・・

 

 

結論

 なぜ不登校に陥ったのか、どうしてあげればいいのか、それが分かるまで辛抱強く「向き合う」こと。当事者が何か言葉を発したときに、それをいつでも聞いてやれるように側にいてあげることが、周囲の人たちにできること。

 私はそう考えました。

 

 

以下、先日不登校に関して募ったアンケートの結果ツイートです。この記事とは直接の関係はありませんが、参考になれば幸いです。 

不登校児を学校へ行かせない選択は正しいのか

 不登校の児童の今後を思いやる意見として、Twitter上でこういうものがあった。

 『無理に学校に行って辛い思いだけを重ねさせるよりも、親がその子の不登校の理由を理解した上で家で得意なことだけを伸ばしてあげるべきだ』

 

私はこういう意見を返した。

『得意なことだけに特化して、将来一人で収入を得られるのならよいがそうでない限りそんなことは不可能だ』

 

そして相手から返ってきた答えはこう。

不登校だったとしても、のちに社会で普通に働いている人はたくさんいます。あなたの言うことこそ固定概念では?』

 

 とっさに返す言葉も思いつかず、その時は平謝りしてしまったがあとから考えるともっと議論をしておくべきだったと後悔している。

 

 私がこの意見に異を覚えた理由は幾つかある。

 

1.家で得意なことだけを伸ばした先の将来

 それで才能を開花させ、専門家として業界で活躍していくサクセス・ストーリーが待っているのならばよいことだがそんな例は稀だと思う。

周囲との諍い、さらにはいじめも待ち受けているかもしれないがそれは社会に出たあとでも同じではないのか。だったら少しでも学校という社会に触れて、その予習をしておくべきではないか。

学校が許してくれるなら、午前中だけとかそういう限定的な時間だけでもよい。人間の輪の中で自分はどう見られて、どう立ち振る舞うのがよいか考える材料が必要だと思う。

 

2.私自身の経験

 ADHDナルコレプシーと呼ばれる特殊な障害に悩まされてきた、私の学生時代から現在までを簡単に記す。

 

小学4年生~小学5年生

 成績はよかったようだが行動が異常に幼く、クラスメイト・上級生・教員を問わず誰にでも稚拙なイタズラを繰り返した結果いじめの応酬に合い、不登校が始まる。

小学6年生~中学2年生

特殊な教育制度が整備された遠方の小学校へ転校、そのまま中学2年生まで寮生活を送りながら(ある意味強制的な)登校を続ける。

中学3年生

 寮生活経験の経験で今後は登校を続けられるだろうという判断のもと地元の中学へ転向するが、ほどなくして諍いが起こり初夏あたりに再び不登校となる。

通信制高校

 初年度は学習意欲自体がなく単位0のまま過ごすが、以降の数年でなんとか単位を取り終え卒業する。クラス委員のようなものに入ったこともあったが雑務の手伝いばかりで、主体的に何かを行うようなことはなかった。

フリーター期その1(2年程度)

 不眠症のようなものがあったため深夜労働が適切と考え、工場のパートタイムなどを転々とする(この不眠症には中学1年以来悩まされて来たが、その正体が分かるのは更に数年後となる)

就職(6ヶ月)

 地方営業の委託を受ける会社に就職するが、言葉遣いや営業トークに根本的な問題があり、尚且つ会議中は睡眠障害により何度も眠り込むことで周囲の印象も悪化していく。程なくして自主退職。

フリーター期その2(7ヶ月)

 雑貨販売でレジ打ちや納品作業のアルバイトに就く。要領が悪く一つの作業に過剰に集中したり、ちょっとした配慮や言葉遣いの欠如で再び周囲からの印象が悪化する。注意欠如により過失が生じ解雇。

 

 私が不登校を繰り返したことによって何が得られたか。

何も得られていない。根拠もなく不登校でも成功している人は沢山いる」と言われるより、実際に自分自身という失敗例が存在することのほうが、よほど説得力を感じる。もしも私に、伸ばすべき「得意なこと」があったならば違う結果が待っていたかもしれないが、不幸なことに私にはそれがなかった(自分から見つける努力を怠っていたのかもしれない。)

 

 

そもそも「得意なことだけを伸ばしていく」という点に関して、もし得意なことが見つけられないor無いという状況ならどうすればよいのか。親が理解するとは具体的にはどういうことなのか。色々と疑問はつきないが、私の結論はこうなる。

 

結論:不登校児を学校へ行かせない選択はアリ。

ただし前提として、今後社会人としての立場を保証する才能や経済的状況があること。

 

今回の件に関するアンケートを募っています。よろしければ投票をお願いします。