では、不登校児に対してなにができるのか
不登校になった子供を、無理に学校に行かせれば環境がそれを追い詰めて潰してしまう。学校へ行かない選択を肯定してもその先には何の保証もない。
不登校、登校拒否というものに対して周りはどう接していけばよいのか。自分は子供を持っているわけでもないしこんなことを考えるのも偉そうではあるが答えを見つけられないでいた。
ある時その答えに近づくためのヒントが降りてきた。SNS上のとあるやり取りの最中に出てきた言葉だった。
「向き合う」という言葉。
日本に生まれてしまったからには、早起きして学校へ行き周りに合わせながら皆と同じ勉強をすることを当たり前のこととして強いられるわけだがそれを避けるということは、当人にとって特別な心境の変化があったということだと思う。
「辛い」という感情は、何かと比較したりして計算出来るものではない。「遠い国では貧しい子供たちが苦しんでいるからあなたは恵まれている」だとか、そういう物差しで量ったりしたところで何の解決にもならない。当人にしか分かり得ない苦しみがある。
そういう他人には分かりようのない、目に見えない辛さを抱えた人を支援することは容易ではない。では周囲の人間は、一体どうしたらいいのか。
もしも不登校に陥った子供が、その憤りや悲しみに押し潰されて誰かに打ち明けなければ気が済まなくなったとき、それを聞いてあげる人間が要る。
心の中に抱えたものを思い切りぶちまけたくなる時がやってきた時、横に誰かが居なければ言葉通り行き場のない孤独だけが帰ってくる。そんな絶望的な状況の前で私は正気で居る自信がない。
ただ話を聞いてくれる人が居てくれさえすればいい。この辛い気持ちを、泣きたくなるような気持ちを聞いてほしい。私にもそういう瞬間が何度もあった。だが私は幸せもので、そんな時は必ず周りに誰かが居た。祖母だったり、ネット上の知り合いだったり。誰かしら話を聞いてくれる人がいて、例えその全てを理解されずとも、話し終えた時にはとても心が安らいでいた。
あの時、誰一人として私の言葉を聞いてくれる者がいなければ今の私は・・・
結論
なぜ不登校に陥ったのか、どうしてあげればいいのか、それが分かるまで辛抱強く「向き合う」こと。当事者が何か言葉を発したときに、それをいつでも聞いてやれるように側にいてあげることが、周囲の人たちにできること。
私はそう考えました。
以下、先日不登校に関して募ったアンケートの結果ツイートです。この記事とは直接の関係はありませんが、参考になれば幸いです。
#アンケート #拡散希望 不登校児を無理に学校に行かせず、親が理解してあげながら得意なことを伸ばしてあげる。無理やり学校に行かせるのは親のエゴだ・・・
— ガテゾーン (@gatezarm) 2016年5月8日
本当にそうか?